カオちゃんを幸せにできない。
カオちゃんのことを、愛する資格は僕にはないから。
『芳・・・聞いてる?・・・・・・芳が嫌なら、友達でいい。・・・・お前のことを、心底好きな友達として、俺をそばに置いてくれ。』
カオちゃん・・・・・・。
こんな僕を、こんなにも・・・・・・・。
涙が次々に流れ落ちる。
カオちゃんの真剣な気持ちが、僕の心に触れたから。
僕にも、こんなまっすぐな気持ちがあったのだろうか。
カオちゃんといる時には、僕もこんな気持ちでいたのかな。
・・・・思い出せないよ。
このカオちゃんの思いを僕はどうする?
僕はどうしたい・・・・・?
『・・・・・・芳人・・・・・・。・・・・・・だいすきだよ・・・・・。』
暖かい囁きが、受話器を通して耳に染み入って・・・・・。
僕は逃げたくない。
この思いを受け入れるにせよ、拒否するにせよ、もう二度と。
「・・・・・あのね・・・・カオちゃん。」
『・・何?』
「・・・・・すぐには答えられない。・・・・・・でも、僕、きちんと考えるよ。・・・・・ありがとう。カオちゃん。」
しろりんの毛が柔らかく僕の指先を滑る。
今の生活が、僕にはとても大事なの。
お仕事とこのお家しかないけれど。それでも。僕が最後に選んだ物だから。
『・・・・・うん・・・・・。・・・・電話・・・していいか・・・?』
「・・・・・・・時々なら・・・・・。・・・・・・あまり電話に出られないけれど・・・。」
『・・・そうだな。・・・・・・迷惑か。』
「・・・・・・そうじゃないよ。・・・・・・お仕事、少し変えたから・・・。それで。」
『そうなんだ。・・・・・また教えてな。』
・・・きっとカオちゃんも、今の僕と何を話していいのか手探りなんだな、って思った。
そうしたら、少しだけ笑えた。
「・・・・産婦人科医になったんだよ。・・・・お産が多いから。」
『・・・・・へえ・・・・・。いい仕事だな。体に気をつけてな。』
「・・・ありがと。・・・じゃあ、そろそろ切るね。」
『あ、芳・・・・。』
「ん?」
カオちゃんの声がして、何気なく答えた。
『・・・・・本とは俺、今すぐにでも芳のところに行きたい。・・・・俺のすべてを捨ててでも・・・・一緒にいたいよ。・・・・・会いたいよ・・・・・。』
切なく言ったカオちゃんに、僕の胸がまた痛んだ。
「・・・・・うん・・・・ありがとう。・・・・・・カオちゃんは優しいね。」
僕のことを忘れないでいてくれて。
『・・・・・今度はいつ話せる?』
「・・・・ごめんね・・・・。それは分からない。・・・・・・でも、カオちゃんのこと、きちんと考えるから・・・・・。」
『・・・・うん・・・・・。』
「じゃあね。・・・・色々ありがとう、カオちゃん。」
『・・・・・・うん・・・・。』
そして、静かに通話ボタンを切って、会話を終了した。
胸の中に、せつなさが残った。
カオちゃんの気持ちを聞いて、僕の胸は張り裂けそうに痛かった・・・・・・。
カオちゃんのことを、愛する資格は僕にはないから。
『芳・・・聞いてる?・・・・・・芳が嫌なら、友達でいい。・・・・お前のことを、心底好きな友達として、俺をそばに置いてくれ。』
カオちゃん・・・・・・。
こんな僕を、こんなにも・・・・・・・。
涙が次々に流れ落ちる。
カオちゃんの真剣な気持ちが、僕の心に触れたから。
僕にも、こんなまっすぐな気持ちがあったのだろうか。
カオちゃんといる時には、僕もこんな気持ちでいたのかな。
・・・・思い出せないよ。
このカオちゃんの思いを僕はどうする?
僕はどうしたい・・・・・?
『・・・・・・芳人・・・・・・。・・・・・・だいすきだよ・・・・・。』
暖かい囁きが、受話器を通して耳に染み入って・・・・・。
僕は逃げたくない。
この思いを受け入れるにせよ、拒否するにせよ、もう二度と。
「・・・・・あのね・・・・カオちゃん。」
『・・何?』
「・・・・・すぐには答えられない。・・・・・・でも、僕、きちんと考えるよ。・・・・・ありがとう。カオちゃん。」
しろりんの毛が柔らかく僕の指先を滑る。
今の生活が、僕にはとても大事なの。
お仕事とこのお家しかないけれど。それでも。僕が最後に選んだ物だから。
『・・・・・うん・・・・・。・・・・電話・・・していいか・・・?』
「・・・・・・・時々なら・・・・・。・・・・・・あまり電話に出られないけれど・・・。」
『・・・そうだな。・・・・・・迷惑か。』
「・・・・・・そうじゃないよ。・・・・・・お仕事、少し変えたから・・・。それで。」
『そうなんだ。・・・・・また教えてな。』
・・・きっとカオちゃんも、今の僕と何を話していいのか手探りなんだな、って思った。
そうしたら、少しだけ笑えた。
「・・・・産婦人科医になったんだよ。・・・・お産が多いから。」
『・・・・・へえ・・・・・。いい仕事だな。体に気をつけてな。』
「・・・ありがと。・・・じゃあ、そろそろ切るね。」
『あ、芳・・・・。』
「ん?」
カオちゃんの声がして、何気なく答えた。
『・・・・・本とは俺、今すぐにでも芳のところに行きたい。・・・・俺のすべてを捨ててでも・・・・一緒にいたいよ。・・・・・会いたいよ・・・・・。』
切なく言ったカオちゃんに、僕の胸がまた痛んだ。
「・・・・・うん・・・・ありがとう。・・・・・・カオちゃんは優しいね。」
僕のことを忘れないでいてくれて。
『・・・・・今度はいつ話せる?』
「・・・・ごめんね・・・・。それは分からない。・・・・・・でも、カオちゃんのこと、きちんと考えるから・・・・・。」
『・・・・うん・・・・・。』
「じゃあね。・・・・色々ありがとう、カオちゃん。」
『・・・・・・うん・・・・。』
そして、静かに通話ボタンを切って、会話を終了した。
胸の中に、せつなさが残った。
カオちゃんの気持ちを聞いて、僕の胸は張り裂けそうに痛かった・・・・・・。
夜。
悩んで、迷って、11:00を過ぎた。
さっきから携帯を握って、カオちゃんの番号を押したけれど、通話ボタンを押せなくて・・・。
だけど、今更何を怖がることがあるんだろう、って思った。
誰とも付き合わない、って決めて、それを告げてからは、カオちゃんとの関係は終わったも同然だったし・・・・。
カオちゃんが何を言ったとしても、今の僕にはそれほど影響がないように感じる。
たとえば、この前「好きだよ。」って言われても、カオちゃんのことで頭が一杯にならないように・・・・・。
僕の中では、もうカオちゃんとのことは、綺麗になってしまっている、って思った。
そう思って、できるだけ強く、なんでもない、って思って、通話ボタンを押した。
そして、1回目のコールが鳴り終わらないうちに・・・・・。
『芳人?』
って声がした。懐かしいカオちゃんの声。
優しい響きは昔と同じで、少し胸が熱くなった。
「・・・・こんな時間にごめんなさい。・・・それで・・・・連絡するのも遅くなっちゃって・・・・・。」
しろりんが、リンリンと首輪を鳴らしながら近寄ってきて、僕のひざに丸まった。
暖かいぬくもり。
少し気後れしていた僕の心が、ちょっとだけほどけた。
『いいんだよ。仕事が忙しいんだ。』
「・・・・ありがとう。」
少し沈黙が訪れて・・・・・・。
カオちゃんが言った。
『芳人。・・・・・会いたい。・・・・・・いまどこにいるんだ?』
どきりと胸が波打って、喉が締め付けられるようで、一瞬声を出せなくて・・・・・。
「・・・・・・そこからは・・・・遠いよ。」
やっとのことで、言葉になる。
会いたいといわれても、僕は自分がどうしたいのかすらわからない。
カオちゃんに対する気持ちは、僕の中では特別なままなのだけれど、それが愛情なのかそうでないのかもわからない。
『あの駅の近く?・・・・・・会いに行くよ。』
「・・・・・会えないよ。」
こんな気持ちのままじゃ。
こんな僕を見られたくない。会うのは怖い。
『・・・・そうか。・・・・・・今・・・・・今は一人?』
「・・・え?」
『・・・・・その・・・・・・付き合ってる人とか・・・そういうのは・・・・・。』
「・・・・・・・そういうのはないよ。・・・・・・多分もう。」
『・・・・・・そうか・・・・。』
胸に、複雑な気持ちが渦巻く。
以前はあんなに楽しかったカオちゃんとのおしゃべりなのに、今はこんなにも切ない。
何を話していいのかもわからない。
『芳人。・・・・・・俺は今でもお前を愛してる。・・・・・だから、会いたい。』
急にはっきりと言われて、めまいがした。
言葉を返せない。
もうずっと、僕はそういう気持ちを殺してきたから。
今はもう、どういう気持ちだったか思い出せない。
『・・・・・つらい思いさせてきたのに、それでも芳のこと離せないんだ。・・・・迷惑か?』
カオちゃんの言葉に、昔のことが頭をよぎっていく。
僕のことを、心から受け入れてくれたカオちゃんのこと。
いつも僕を支えて、笑顔でいてくれたカオちゃんのこと。
どんな時も、僕を優しく丁寧に抱いてくれたカオちゃんのこと。
そのカオちゃんに会えなくて、寂しくてたまらなかったこと。
いつもいつも、愛してると言ってくれていたことを・・・・・・・。
忘れていた涙が、僕の頬を伝った。
だけど、以前には戻れない。
僕は僕を信じられない。
悩んで、迷って、11:00を過ぎた。
さっきから携帯を握って、カオちゃんの番号を押したけれど、通話ボタンを押せなくて・・・。
だけど、今更何を怖がることがあるんだろう、って思った。
誰とも付き合わない、って決めて、それを告げてからは、カオちゃんとの関係は終わったも同然だったし・・・・。
カオちゃんが何を言ったとしても、今の僕にはそれほど影響がないように感じる。
たとえば、この前「好きだよ。」って言われても、カオちゃんのことで頭が一杯にならないように・・・・・。
僕の中では、もうカオちゃんとのことは、綺麗になってしまっている、って思った。
そう思って、できるだけ強く、なんでもない、って思って、通話ボタンを押した。
そして、1回目のコールが鳴り終わらないうちに・・・・・。
『芳人?』
って声がした。懐かしいカオちゃんの声。
優しい響きは昔と同じで、少し胸が熱くなった。
「・・・・こんな時間にごめんなさい。・・・それで・・・・連絡するのも遅くなっちゃって・・・・・。」
しろりんが、リンリンと首輪を鳴らしながら近寄ってきて、僕のひざに丸まった。
暖かいぬくもり。
少し気後れしていた僕の心が、ちょっとだけほどけた。
『いいんだよ。仕事が忙しいんだ。』
「・・・・ありがとう。」
少し沈黙が訪れて・・・・・・。
カオちゃんが言った。
『芳人。・・・・・会いたい。・・・・・・いまどこにいるんだ?』
どきりと胸が波打って、喉が締め付けられるようで、一瞬声を出せなくて・・・・・。
「・・・・・・そこからは・・・・遠いよ。」
やっとのことで、言葉になる。
会いたいといわれても、僕は自分がどうしたいのかすらわからない。
カオちゃんに対する気持ちは、僕の中では特別なままなのだけれど、それが愛情なのかそうでないのかもわからない。
『あの駅の近く?・・・・・・会いに行くよ。』
「・・・・・会えないよ。」
こんな気持ちのままじゃ。
こんな僕を見られたくない。会うのは怖い。
『・・・・そうか。・・・・・・今・・・・・今は一人?』
「・・・え?」
『・・・・・その・・・・・・付き合ってる人とか・・・そういうのは・・・・・。』
「・・・・・・・そういうのはないよ。・・・・・・多分もう。」
『・・・・・・そうか・・・・。』
胸に、複雑な気持ちが渦巻く。
以前はあんなに楽しかったカオちゃんとのおしゃべりなのに、今はこんなにも切ない。
何を話していいのかもわからない。
『芳人。・・・・・・俺は今でもお前を愛してる。・・・・・だから、会いたい。』
急にはっきりと言われて、めまいがした。
言葉を返せない。
もうずっと、僕はそういう気持ちを殺してきたから。
今はもう、どういう気持ちだったか思い出せない。
『・・・・・つらい思いさせてきたのに、それでも芳のこと離せないんだ。・・・・迷惑か?』
カオちゃんの言葉に、昔のことが頭をよぎっていく。
僕のことを、心から受け入れてくれたカオちゃんのこと。
いつも僕を支えて、笑顔でいてくれたカオちゃんのこと。
どんな時も、僕を優しく丁寧に抱いてくれたカオちゃんのこと。
そのカオちゃんに会えなくて、寂しくてたまらなかったこと。
いつもいつも、愛してると言ってくれていたことを・・・・・・・。
忘れていた涙が、僕の頬を伝った。
だけど、以前には戻れない。
僕は僕を信じられない。
何となく上の空になりそうな感じを堪えて、外勤を済ませ、大神先生のところへ戻って、少し勤務してから、家に帰ったのは10時を過ぎていた。
しろりんが、軽やかな鈴の音とともに僕を迎えてくれた。
荷物を置いて、シャワーして、軽くご飯を食べてから、少しだけ仕事の続きをしようと思って、テーブルに資料を広げた。
カルテ書きが溜まっていて、こうでもしないと先生のところで夜勤しちゃいそうだったから。
それに、明日、夜勤だし、寝ないと僕、死んじゃう。
で、一冊目を書こうとして、気づいた。
あの名刺に。
カルテの間に紛れ込んでいたそれを指でつまんで、じっと見つめた。
伊藤薫って書かれた名刺は、肩書きや社名が一杯書いてあった。
連絡先も会社の電話みたい。
で、何気なく裏返したら、裏にはあのマンションの住所とカオちゃんの携帯番号が書いてあった。
どきん、と心臓が鳴った。
「連絡してくれ。」って言ってたカオちゃんを思い出した。
カオちゃん・・・・・。
もう何年ぶりなのかな。
でも、ほとんど変わってなかった。
カオちゃん、あんなところで何してたのかな。
急いでたから、お仕事かな。
って思って、頭の中を打ち消した。
僕がカオちゃんのことを、気にするのは間違っているの。
僕は、自分勝手だから、単にカオちゃんに甘えたいだけかもしれないから。
「好きだよ。」と言ってくれたカオちゃんの気持ちに、乗っかりたいだけなのかもしれないから。
自分がわからないの。
あれ以来、自分を信用できなくて。
だから、その名刺を脇へどかして、仕事の続きをすることにした。
自分がわからない以上、簡単にカオちゃんに連絡などできない。
もう二度とカオちゃんを悲しませたり、困らせたりしてはいけないの・・・・・。
お昼に医局でそろそろご飯でも食べようかな、って思ってお弁当を出した。
自炊ができるようになったお陰で、もうずっとお弁当を作ってるんだよ?
前の病院よりもお給料が少ないから、本当に助かった〜って、自分を褒めたいくらい。
丁度蓋を開けたところに、岩野君が通りかかって、うまそーって言って、僕の隣の席に座った。
そして、持っていたカルテやらペンやらを、ぽいぽい机の上に投げていて、こんなこと普段はしないから、どうしたのかな、って思って岩野君を見た。
「・・・どしちゃったの?」
そしたら、大神先生があつーとか言いながら医局に入ってきて、岩野君の代わりに言った。
「36週で、頚官無力症の患者がいるんだけどさ。・・・・正期産まであと少しだから、入院するように言ったんだよ。・・・・・で、そん時は何かどうしても入院できない、って言うからさ、それじゃ連絡してくれ、って言ったのに、連絡もよこさないわけ。それで岩野が切れてんだ。」
大神先生は、どっかりと椅子に腰掛けると、僕のお弁当から卵焼きを取って食べた。
んー、うまいうまい、とかってのんき。
「だって、本とにね、今にも開きそうなのに、自覚してないんだ。胎児がどうなってもいいのか、ってそんなの母親?」
岩野君は、ぷんぷんしながら僕を見た。
「お前、そりゃあさ、色んな事情があると思うぜ?」
「まあ、それはそうだけど。・・・でも、連絡待ってるのに、それもしないなんて、無責任ですよ。俺、裏切られた気分だ。」
岩野君の、その言葉に、なぜか胸の中が痛くなった。
いつもの鋭い痛みじゃなく、奥のほうから沸きあがる鈍痛で、僕の心を罪悪感で一杯にした。
連絡を待ってるのに、こないってことが、誰かを裏切ることになる・・・・?
でも、僕は約束していない・・・・・。
だけど・・・・絶対に連絡くれよな。って・・・・・。
僕・・・・・・・。
連絡をするべきなのは僕の方。
だって、カオちゃんは僕の電話を知らないし、頼まれたのも僕。
待ってる・・・・?
カオちゃんは僕が連絡するのを待ってる?
あの時の僕のように、何か話がある・・・・・?
・・・・そうかもしれない、って思った。
カオちゃんのことはよくわからないけれど、僕は僕のやるべきことを見て見ぬふりはしてはいけないの。
今夜、電話してみよう。
ちょっとだけ怖いし、勇気がいるけれど。
もうこれ以上、自分自身をおとしたくないから。
「先生、弁当。」
って岩野君に言われて、ふと我にかえると、僕の弁当箱が目の前からなくなっていた。
あれ?
って顔を上げたら。
「あーっ!ひどい!先生!」
大神先生が、僕のお弁当を食べてた。
「お前、料理上手いなあ。・・・・・ごっそさん。ほれ、これ。」
空の弁当箱を渡されて、それから、1000円札一枚。
「・・・こんなに払ってくれるの?」
「ばか者。おつりは返せよ。」
「・・・・ふふっ。先生って・・・・・・。」
お茶をすすって、いつものように机に足を上げた先生。
「いい男だろ?」
そう言って笑うから・・・・・。
「・・・・・案外けち?」
「うるせーよ!」
先生が僕にティッシュの箱を投げるから、僕はそれをよけて、ご飯を買いに行くために医局を出た。
「せんせー!俺にコーヒー買ってきてー!」
中から岩野君の声がして、はーい、って答えた。
ここは、以前と違って、皆仲良しなの。
いつも和気藹々としてる。
僕はそれがとても楽しくて、仕事の辛さを忘れることができるの・・・・・。
しろりんが、軽やかな鈴の音とともに僕を迎えてくれた。
荷物を置いて、シャワーして、軽くご飯を食べてから、少しだけ仕事の続きをしようと思って、テーブルに資料を広げた。
カルテ書きが溜まっていて、こうでもしないと先生のところで夜勤しちゃいそうだったから。
それに、明日、夜勤だし、寝ないと僕、死んじゃう。
で、一冊目を書こうとして、気づいた。
あの名刺に。
カルテの間に紛れ込んでいたそれを指でつまんで、じっと見つめた。
伊藤薫って書かれた名刺は、肩書きや社名が一杯書いてあった。
連絡先も会社の電話みたい。
で、何気なく裏返したら、裏にはあのマンションの住所とカオちゃんの携帯番号が書いてあった。
どきん、と心臓が鳴った。
「連絡してくれ。」って言ってたカオちゃんを思い出した。
カオちゃん・・・・・。
もう何年ぶりなのかな。
でも、ほとんど変わってなかった。
カオちゃん、あんなところで何してたのかな。
急いでたから、お仕事かな。
って思って、頭の中を打ち消した。
僕がカオちゃんのことを、気にするのは間違っているの。
僕は、自分勝手だから、単にカオちゃんに甘えたいだけかもしれないから。
「好きだよ。」と言ってくれたカオちゃんの気持ちに、乗っかりたいだけなのかもしれないから。
自分がわからないの。
あれ以来、自分を信用できなくて。
だから、その名刺を脇へどかして、仕事の続きをすることにした。
自分がわからない以上、簡単にカオちゃんに連絡などできない。
もう二度とカオちゃんを悲しませたり、困らせたりしてはいけないの・・・・・。
お昼に医局でそろそろご飯でも食べようかな、って思ってお弁当を出した。
自炊ができるようになったお陰で、もうずっとお弁当を作ってるんだよ?
前の病院よりもお給料が少ないから、本当に助かった〜って、自分を褒めたいくらい。
丁度蓋を開けたところに、岩野君が通りかかって、うまそーって言って、僕の隣の席に座った。
そして、持っていたカルテやらペンやらを、ぽいぽい机の上に投げていて、こんなこと普段はしないから、どうしたのかな、って思って岩野君を見た。
「・・・どしちゃったの?」
そしたら、大神先生があつーとか言いながら医局に入ってきて、岩野君の代わりに言った。
「36週で、頚官無力症の患者がいるんだけどさ。・・・・正期産まであと少しだから、入院するように言ったんだよ。・・・・・で、そん時は何かどうしても入院できない、って言うからさ、それじゃ連絡してくれ、って言ったのに、連絡もよこさないわけ。それで岩野が切れてんだ。」
大神先生は、どっかりと椅子に腰掛けると、僕のお弁当から卵焼きを取って食べた。
んー、うまいうまい、とかってのんき。
「だって、本とにね、今にも開きそうなのに、自覚してないんだ。胎児がどうなってもいいのか、ってそんなの母親?」
岩野君は、ぷんぷんしながら僕を見た。
「お前、そりゃあさ、色んな事情があると思うぜ?」
「まあ、それはそうだけど。・・・でも、連絡待ってるのに、それもしないなんて、無責任ですよ。俺、裏切られた気分だ。」
岩野君の、その言葉に、なぜか胸の中が痛くなった。
いつもの鋭い痛みじゃなく、奥のほうから沸きあがる鈍痛で、僕の心を罪悪感で一杯にした。
連絡を待ってるのに、こないってことが、誰かを裏切ることになる・・・・?
でも、僕は約束していない・・・・・。
だけど・・・・絶対に連絡くれよな。って・・・・・。
僕・・・・・・・。
連絡をするべきなのは僕の方。
だって、カオちゃんは僕の電話を知らないし、頼まれたのも僕。
待ってる・・・・?
カオちゃんは僕が連絡するのを待ってる?
あの時の僕のように、何か話がある・・・・・?
・・・・そうかもしれない、って思った。
カオちゃんのことはよくわからないけれど、僕は僕のやるべきことを見て見ぬふりはしてはいけないの。
今夜、電話してみよう。
ちょっとだけ怖いし、勇気がいるけれど。
もうこれ以上、自分自身をおとしたくないから。
「先生、弁当。」
って岩野君に言われて、ふと我にかえると、僕の弁当箱が目の前からなくなっていた。
あれ?
って顔を上げたら。
「あーっ!ひどい!先生!」
大神先生が、僕のお弁当を食べてた。
「お前、料理上手いなあ。・・・・・ごっそさん。ほれ、これ。」
空の弁当箱を渡されて、それから、1000円札一枚。
「・・・こんなに払ってくれるの?」
「ばか者。おつりは返せよ。」
「・・・・ふふっ。先生って・・・・・・。」
お茶をすすって、いつものように机に足を上げた先生。
「いい男だろ?」
そう言って笑うから・・・・・。
「・・・・・案外けち?」
「うるせーよ!」
先生が僕にティッシュの箱を投げるから、僕はそれをよけて、ご飯を買いに行くために医局を出た。
「せんせー!俺にコーヒー買ってきてー!」
中から岩野君の声がして、はーい、って答えた。
ここは、以前と違って、皆仲良しなの。
いつも和気藹々としてる。
僕はそれがとても楽しくて、仕事の辛さを忘れることができるの・・・・・。
仕事は夜勤だけをさせてもらうようにした。
じゃないと木原君に会ってしまうから。
皆と反対の生活リズムにもすぐ慣れちゃって、でも、それに慣れちゃうと、夜の世界に僕一人しかいないような感じに襲われた。
怖かったけど・・・・・。
僕はもともと一人だったの。だからきっと平気。
うすぐらい医局で時間を忘れるように働いた。
以前ほど仕事が嫌いじゃなくなってる。
不思議だけど・・・・僕は人間としてようやく正しい道を歩けるようになったのかな、って思えた・・・・・。
2年が経って、僕は大神先生のところだけじゃなくて、総合病院へも出張医師として出かけることが多くなった。
仕事だけが一筋みたいに、僕は毎日を精一杯送ってる。
結婚もしない、仕事だけの毎日は、僕がいつか決めた人生で、後悔はなかった。
ここにいたるまでに、僕はたくさん幸せなことがあったから。
そう・・・・・。
木原君に別れを告げた翌年。
木原君は他の土地へ転勤になった。
あれから一度も連絡はなかったし、もう完全に終わったのを感じた。
これでよかったと思えるの。
優柔不断な僕に、いつまでも付き合わせるのはダメだもんね。
駐輪場に自転車を止めて、外勤先の総合病院へ足を踏み入れた。
カオちゃんと暮らしていた頃に勤めていた病院みたいで、懐かしい。
ここにはERはないけれど、あわただしい雰囲気はとても似てる。
もう、遠い昔のことみたい・・・・。
それなのに、こうして自分が普通に生活していることに、僕は少し驚いてるんだ・・・・。
その日はあいにくの雨で、いつもは自転車で通う道のりを、電車を使わなければならなかった。
実をいうと、電車は少し遠回りになるし、痴漢が多くて敬遠してるんだけど・・・・。
そうこう言ってられないし、大混雑している電車に乗り込んだ。
雨のせいで、湿気が多くて、体がべとついて気持ち悪い。
妊婦さんは、匂いに敏感だから、体、におわないかな、って気にしながら駅について、改札まで歩いた。
線路にふりしきる雨脚は弱まることもなく、ひたすらに降り続いている。
人の流れに従って、濡れた傘に当たらないよう歩いていた。
「・・・・・・・芳人・・・・・・。芳人か?」
突然そんな声が耳に飛び込んできて、思わず顔を上げて回りを見回した。
よしと、という名前は僕と同じだけで僕のことじゃないかもしれないけど、同じ名前ってだけで反応しちゃうのは仕方ないでしょ?
でも、僕は小柄だし、周りの人が多すぎてよくわからなくて、あきらめた。
きっと違う人のことだと思ったしね。
だって、僕の知り合いは誰もいないもの。
人並みにそって、階段を下りようとした時、その声はまた響いてきた。
「芳人!・・・・芳!」
その言い方に、懐かしさを覚えて、思わず後ろを振り返った。
でも、当たり前ながら、誰もいないし・・・・。不思議だなあ・・・・・。
と、われに返って、人ごみがすごくて抜けるのに時間がかかっちゃってるのが分かった。
遅れそうで、僕は急いで改札を抜ける。
そして、傘をさそうとしたら、腕をぐいっと掴まれた。
びっくりして、振り返る。
ん・・・・・?誰・・・・・?
ちょっと怖くて、恐る恐る腕から視線を顔に向けたら・・・・・・。
まず僕の目に中折れ帽が飛び込んできた。
その帽子がゆっくり上がって・・・・・・・。
汗まみれの顔が、にっこり笑った。
「・・・・・カッ・・・・カオちゃん・・・・・!」
「ははっ!会えた・・・・!会えたぞ!・・・・・・だが時間がないな。そうだ。これ、俺の携帯と連絡先。・・・絶対電話してくれ。絶対だぞ!」
びっくりして、息が止まりそうな僕のことを、見てるような見てないような感じで、そういうと、僕の手に名刺を押し付けた。
そして・・・・・。
僕の耳元に唇を寄せると、こう言った。
「・・・・綺麗なままだな。・・・・・好きだよ。」って・・・・・・!
かあ・・・っと顔に血が上る。
じゃ、って僕を振り向きながら去っていく後ろ姿を僕は、どきどきしながら見送った。
カオちゃん・・・・・。
こんなところでカオちゃんに会えるなんて・・・・・・・・。
じゃないと木原君に会ってしまうから。
皆と反対の生活リズムにもすぐ慣れちゃって、でも、それに慣れちゃうと、夜の世界に僕一人しかいないような感じに襲われた。
怖かったけど・・・・・。
僕はもともと一人だったの。だからきっと平気。
うすぐらい医局で時間を忘れるように働いた。
以前ほど仕事が嫌いじゃなくなってる。
不思議だけど・・・・僕は人間としてようやく正しい道を歩けるようになったのかな、って思えた・・・・・。
2年が経って、僕は大神先生のところだけじゃなくて、総合病院へも出張医師として出かけることが多くなった。
仕事だけが一筋みたいに、僕は毎日を精一杯送ってる。
結婚もしない、仕事だけの毎日は、僕がいつか決めた人生で、後悔はなかった。
ここにいたるまでに、僕はたくさん幸せなことがあったから。
そう・・・・・。
木原君に別れを告げた翌年。
木原君は他の土地へ転勤になった。
あれから一度も連絡はなかったし、もう完全に終わったのを感じた。
これでよかったと思えるの。
優柔不断な僕に、いつまでも付き合わせるのはダメだもんね。
駐輪場に自転車を止めて、外勤先の総合病院へ足を踏み入れた。
カオちゃんと暮らしていた頃に勤めていた病院みたいで、懐かしい。
ここにはERはないけれど、あわただしい雰囲気はとても似てる。
もう、遠い昔のことみたい・・・・。
それなのに、こうして自分が普通に生活していることに、僕は少し驚いてるんだ・・・・。
その日はあいにくの雨で、いつもは自転車で通う道のりを、電車を使わなければならなかった。
実をいうと、電車は少し遠回りになるし、痴漢が多くて敬遠してるんだけど・・・・。
そうこう言ってられないし、大混雑している電車に乗り込んだ。
雨のせいで、湿気が多くて、体がべとついて気持ち悪い。
妊婦さんは、匂いに敏感だから、体、におわないかな、って気にしながら駅について、改札まで歩いた。
線路にふりしきる雨脚は弱まることもなく、ひたすらに降り続いている。
人の流れに従って、濡れた傘に当たらないよう歩いていた。
「・・・・・・・芳人・・・・・・。芳人か?」
突然そんな声が耳に飛び込んできて、思わず顔を上げて回りを見回した。
よしと、という名前は僕と同じだけで僕のことじゃないかもしれないけど、同じ名前ってだけで反応しちゃうのは仕方ないでしょ?
でも、僕は小柄だし、周りの人が多すぎてよくわからなくて、あきらめた。
きっと違う人のことだと思ったしね。
だって、僕の知り合いは誰もいないもの。
人並みにそって、階段を下りようとした時、その声はまた響いてきた。
「芳人!・・・・芳!」
その言い方に、懐かしさを覚えて、思わず後ろを振り返った。
でも、当たり前ながら、誰もいないし・・・・。不思議だなあ・・・・・。
と、われに返って、人ごみがすごくて抜けるのに時間がかかっちゃってるのが分かった。
遅れそうで、僕は急いで改札を抜ける。
そして、傘をさそうとしたら、腕をぐいっと掴まれた。
びっくりして、振り返る。
ん・・・・・?誰・・・・・?
ちょっと怖くて、恐る恐る腕から視線を顔に向けたら・・・・・・。
まず僕の目に中折れ帽が飛び込んできた。
その帽子がゆっくり上がって・・・・・・・。
汗まみれの顔が、にっこり笑った。
「・・・・・カッ・・・・カオちゃん・・・・・!」
「ははっ!会えた・・・・!会えたぞ!・・・・・・だが時間がないな。そうだ。これ、俺の携帯と連絡先。・・・絶対電話してくれ。絶対だぞ!」
びっくりして、息が止まりそうな僕のことを、見てるような見てないような感じで、そういうと、僕の手に名刺を押し付けた。
そして・・・・・。
僕の耳元に唇を寄せると、こう言った。
「・・・・綺麗なままだな。・・・・・好きだよ。」って・・・・・・!
かあ・・・っと顔に血が上る。
じゃ、って僕を振り向きながら去っていく後ろ姿を僕は、どきどきしながら見送った。
カオちゃん・・・・・。
こんなところでカオちゃんに会えるなんて・・・・・・・・。
お産の待機をしながら、一人の医局でぼんやりとノートに目を落としていた。
認定医試験のための勉強をしながら、僕は医局で夜勤中・・・・。
ついさっき来たメールのことを考えていたの。
それはカオちゃんからと木原君からで・・・・・・。
木原君からのメールには、木原君は本気で僕を好きでいるから、僕にも本気になってほしい、ってことが書かれていた。
カオちゃんからのメールは、あの学会の夜以来初めて来たメールで、愛してるって書いてあった。
カオちゃんの気持ちに、胸が痛くなる。
同時に、木原君の気持ちが痛いほど突き刺さる。
自分がどうすればいいのか、本当にわからなかった。
愛してる人はカオちゃんだけだと思っていたのに・・・・・。
今更木原君の優しさをしみじみと感じていた。
短い間に、木原君のことを好きになりかけていたのだとわかったの。
二人のどちらにも、返信できずにいた。
いい加減な僕の言動が、引き起こしたことを、僕はどうやって片付けたらいいのかわからない。
一番いいことは、僕だけが傷つくこと。
二人には、何の罪もないの。
そのために、僕がすべきことはなんだろう。
何をしたらいいんだろう・・・・・。
二人には、しばらく会わないことにした。
丁度試験の時期と重なっていたから、それを不思議とは思わなかったみたいで、僕もほっとした。
僕の気持ちの整理はなかなかつかずに、今でもずうっと同じまま。
相変わらず木原君とカオちゃん、二人のことを考えていた。
卑怯だ。
僕は、こんなにも汚い人間なの。
いっそのこと、二人のどちらとも別れてしまおう、って思ってる。
こんな僕とは一緒にいない方がいいの。
以前の僕とは違って、僕にも一人で生きていける自信がついた。
僕は一人でも大丈夫だから・・・・。
試験が済んで、二人からメールが来た。
会いたいというシンプルな文字の列。
二人とも同じ内容で、僕の心を突き動かした。
でも・・・・・。
僕の心は決まったの。
もう二人には会わない。恋愛はしない、と。
こんなにも誰かを苦しませることが、もう二度とあってはならないの。
僕は僕らしく、一人で生きていくべきだったのに、それを破ってしまったのがいけなかった。
試験の終わった夜、一人きりの静かな部屋で色々考えながら、僕は二人に同じメールを返した。
僕はもう誰とも付き合えないことを。
だから、もう二度と会わないってことを。
そして、携帯電話の電源を落とした。
涙が後から後から溢れて止まらなかった。
静かな一人の夜。
僕は、これまでの思いを打ち消すように、一晩中泣き続けた・・・・・・・・。
認定医試験のための勉強をしながら、僕は医局で夜勤中・・・・。
ついさっき来たメールのことを考えていたの。
それはカオちゃんからと木原君からで・・・・・・。
木原君からのメールには、木原君は本気で僕を好きでいるから、僕にも本気になってほしい、ってことが書かれていた。
カオちゃんからのメールは、あの学会の夜以来初めて来たメールで、愛してるって書いてあった。
カオちゃんの気持ちに、胸が痛くなる。
同時に、木原君の気持ちが痛いほど突き刺さる。
自分がどうすればいいのか、本当にわからなかった。
愛してる人はカオちゃんだけだと思っていたのに・・・・・。
今更木原君の優しさをしみじみと感じていた。
短い間に、木原君のことを好きになりかけていたのだとわかったの。
二人のどちらにも、返信できずにいた。
いい加減な僕の言動が、引き起こしたことを、僕はどうやって片付けたらいいのかわからない。
一番いいことは、僕だけが傷つくこと。
二人には、何の罪もないの。
そのために、僕がすべきことはなんだろう。
何をしたらいいんだろう・・・・・。
二人には、しばらく会わないことにした。
丁度試験の時期と重なっていたから、それを不思議とは思わなかったみたいで、僕もほっとした。
僕の気持ちの整理はなかなかつかずに、今でもずうっと同じまま。
相変わらず木原君とカオちゃん、二人のことを考えていた。
卑怯だ。
僕は、こんなにも汚い人間なの。
いっそのこと、二人のどちらとも別れてしまおう、って思ってる。
こんな僕とは一緒にいない方がいいの。
以前の僕とは違って、僕にも一人で生きていける自信がついた。
僕は一人でも大丈夫だから・・・・。
試験が済んで、二人からメールが来た。
会いたいというシンプルな文字の列。
二人とも同じ内容で、僕の心を突き動かした。
でも・・・・・。
僕の心は決まったの。
もう二人には会わない。恋愛はしない、と。
こんなにも誰かを苦しませることが、もう二度とあってはならないの。
僕は僕らしく、一人で生きていくべきだったのに、それを破ってしまったのがいけなかった。
試験の終わった夜、一人きりの静かな部屋で色々考えながら、僕は二人に同じメールを返した。
僕はもう誰とも付き合えないことを。
だから、もう二度と会わないってことを。
そして、携帯電話の電源を落とした。
涙が後から後から溢れて止まらなかった。
静かな一人の夜。
僕は、これまでの思いを打ち消すように、一晩中泣き続けた・・・・・・・・。







